仲間内の飲み会から帰ってきたときには、ソファの上でシャムロックは柔らかい寝息を立てていた。
手の中には読みかけらしい本が収まっている。
私は酔っ払った頭でそれを見つめて、そして口元に小さく笑みを浮かべた。
出かける前に見たシャムロックはここで同じように本を読んでいたので(もちろんその時は起きていたが)、私が出かけてすぐ寝入ってしまったのかもしれない。
手の中の本も、出かける前に見たものと同じだ。


(結構しっかり寝てるなー…)


眠っているシャムロックの顔には精悍さも変わらずあるが、どちらかと言えば穏やかさと柔らかさのほうが強く感じられる。
近頃は騎士団の仕事のために眉根を寄せている光景を見ることが多かったため、どこかあどけなくすら感じられるほどだ。
こんな無防備な姿はなかなか見ることが出来ないだろう。
せっかくこんな貴重な場面に遭遇できたので、私はシャムロックの足元にそっとしゃがみ込み、寝顔を下からじっと見つめることにした。
普段ならこんなに長時間顔を見つめることも出来ないので(シャムロックが照れてしまうからだ)じっと見ているだけでも楽しい。
そうして見ている間にシャムロックの手から本が滑り落ちかけたため、本をそっと抜き去って栞を挟み、机の上にそっと置くこともした。
起こさないように息を潜めながら本を抜き、無事に本を回収し終えてから、不意に疑問に思う。


(…………起きないし)


それまで持っていたものが無くなったというのに起きる気配がないのだ。
そもそもシャムロックは騎士として日頃から鍛錬を積み、気配に敏かったり身体が勝手に周辺を警戒するような人であるはずなのに、私が足元にいても起きない。
警戒する必要がないと思われている、と考えればそれは嬉しいが、周りの気配の変化に気づくことも出来ないほど熟睡しているだけかもしれない。
後者なら(というか恐らくこちらが正解だろう、シャムロックだし)かなり疲れているんだろうな、と心配する気持ちが浮かんでくる。
……そして同時に、ちょっとした悪戯心も。
普段の生活でもシャムロックのほうが大概起きるのは早いので、なかなか寝顔を見る機会はない。
その上うたた寝となれば稀少価値はかなり上がっている。ここで何も行動を起こさないのはあまりにも逃す獲物が大きすぎる。


(どこまでやったら起きるのかなー…っていうか、寝ているからこそ出来る行動とかするほうがお得じゃない?)


ソファに浅く腰掛けた状態で眠るシャムロック。
わずかにめくれ上がったシャツから鍛え抜かれた筋肉と、腰回りの骨が浮き出ているのが見えて、胸の奥がギュッと締め付けられる。
まぁ私も大人だし、仕方がない。期待に胸が高鳴っていくのは止められない。
物音を立てないようにゆっくりと立ち上がり、シャムロックに近寄る。
そしてシャムロックの腰をまたぐようにソファに膝を付き、俯き加減のシャムロックの顔を至近距離からじっくりと見つめた。
忙しくて切れずに伸びている髪が、呼吸で動く頭に合わせてゆらゆらと揺れる。
さらに角度的には、緩められた胸元から首筋にかけての男らしい色気ある流れまで観察できる。


(あ、やばい……我慢出来ないかも)


酔っ払って理性が緩んでいるのも手伝って、じわじわと息が熱くなっていくのを感じる。
そして私はそれまで浮かせていた腰をシャムロックの太ももの上におろし、抱きつくようにしてシャムロックの肩口に顔をうずめた。
眠っているため温かい体温と、ふわりと香るシャムロックの匂いが身体に沁み込んでいく。
するとさすがに目覚めたらしいシャムロックが、それでもまだ寝ぼけたように薄く目を開けてこちらを見つめてきた。可愛い。
じっとこちらを見つめてからゆっくりとその腕を私の腰に回して、今度はシャムロックの方からぎゅっと私を抱きしめてくれる。
まだ眠さをはらんでいる暖かな吐息が私の首筋をくすぐり、肌をざわめかせた。


「……ん…?」


「んー?おはよ、シャムロック」


想像していたよりもシャムロックのまどろみは短く、あっという間にあどけなさが消えて行く。
少し残念に思いながらシャムロックの顔を見つめていると、しっかりとした手つきでそっと私の上体を押し離し、それでも太ももの上には載せたまま、まっすぐにこちらを見つめてきた。
その眼差しが寝起きとは思えないくらいしっかりしていて、相変わらず酔っ払っている私よりすっかりまともになってしまっている。
しかし見つめていると、しっかり、というよりは恨みがましい感じがする目付きで、私はこてんと首を傾けた。
なにかよい夢の邪魔でもしたのだろうか。いや、それでも別にそんな事で怒るようなシャムロックではなかったと思うのだが。


「……今日の飲み会は、イオスも居た?」


「え?うん、まぁ、隊の飲み会だったからね、たいちょーも呼ばれてたけど……あー、もしかして、まだたいちょーの匂いする……?」


私の発言に、わずかにシャムロックの表情が消えた。
私はといえばポロッと言葉をこぼしてからその意味を反芻し、ひぃっと小さく息を飲む。明らかに言葉を選び間違えた。
それまでふわふわしていた空気が一転、徐々に温度が下がっていっているような気がする。
シャムロックは相変わらず無表情に近い顔のままだし、腰に回っている腕がそこはかとなく力強い気がしないでもない……いや、はっきり言おう、かなりしっかり固定されている。
でもシャムロックからこんなに力強く抱き寄せてくれることなんて今までなかったし、これはこれで約得かもしれない。
考えてみれば今のシャムロックは私とイオス隊長の中を邪推しているわけで、つまり有り体に言えばヤキモチだ。
そう思考がたどり着いた頃には、すっかりふやけた表情でシャムロックを見つめてしまっていた。
シャムロックはどこか硬い表情のまま、それでも訝しげに私を見つめている。


「シャムロック、たいちょーと私の仲、勘ぐってる?嫉妬しちゃってる?」


「……その反応で何も無いんだろうということは判ったけれど。それでも……気になるさ、それは」


ニコニコしている私に対して、シャムロックが少し呆れたようにため息を吐きながら小さく答えた。
そんなシャムロックが可愛らしくて、私はまたぎゅっとシャムロックに抱きついた。
相変わらず隊長の匂いがしているらしいからか、いつものように抵抗することはせず、代わりにちょっとしかめ面のまま。
顔を真赤にして照れてくれたりするのももちろん可愛いし大好きだけど、「男」をにじませているシャムロックもやっぱり格好良い。
私はそっとシャムロックの首筋を撫で、そのまま首もとのボタンにそっと手をかけた。


「帰る時に思った以上に外が寒くて、たいちょーに上着借りて家の前まで着てたの。それで匂い移っちゃっただけ」


ゆっくりと外れていくボタンに、それでもシャムロックはじっと私を見つめてくる。
中程までボタンを外したところで、シャムロックがそっと私の背中を撫で上げた。
思わず甘い息が漏れ、手の動きが止まる。


「……他の男の匂いが駄目なら、自分の匂いで上塗りしてよ……ね?」


私のその言葉をきっかけに、背中にあったシャムロックの手が後頭部に回り、口付けを仕掛けてくる。
いつもと違うどこか荒っぽい口付けは、シャムロックの胸の内を表しているのだろうか。
だとすれば、私はこれだけ求められ、そしてこれだけ愛されているのだろうか。





仔猫が行方不明





(愛らしいばかりの仔猫じゃない、私を喰らっていく豹みたいな彼が、ゆっくりと私を侵食していった)



気になる言葉で七の小噺|リライト様