ようやく息を吐けたのは高校を後にして暫く経ってからだった。
張りつめていた気分が徐々に溶け出していくのを感じながら私はもう一度意識的に小さく息を 吐いて、脳内に留めてあった買い物リストを浮かび上がらせる。
部活の後だから竹刀が荷物ではあるけれども、一度家に戻ってから買い物に行くのも億劫だ。
大会に向けてのハードな練習を乗り越えた後の身体は重く、本音を言えば寄り道などせずに 帰って即座に布団に入りたいところ。

(でも…そうするとあの生活破綻者が飢えるし)

唯一無二の家族の姿を思い浮かべながら、私は思わず苦笑した。
両親が家族の数の中から消えてからほぼ一年が過ぎ去ろうとしている。
その一年の間に愛していた両親は徐々に思い出に変わっていき、その恐怖が残る一人きりの 家族への依存と執着を強めていく。
それはお互いに言えることだった。
自覚はしているけれども、だからといって止めることが出来ない想い。確実に迫ってきている 現実から目を背けたいがための非生産的な想い。

(それでも…私の家族は、あいつだけ)

私にないものを持っていて、いつも私を照らしてくれる太陽みたいなアイツ。
もちろん正面切ってそんなことを言ってやるつもりは今後一切無いが、唯一私の世界の中に 組み込まれている家族。
そう、4人しか居なかった世界が2人になって、私の世界は停滞と崩壊を待つばかりの先のない ものになってしまっている。
でもその世界に慣れきってしまった私には、外界を眩しそうに見つめることしか出来ない私に は、今の壊れそうな世界を必死につなぎ止めることしか出来ない。
縋って離さず、どろどろとした私の世界にアイツを縛り付けることしか。

(いつか、世界は終わってしまうから)

高校3年生。
庇護してくれる親が存在しない今、高校を卒業してからの生活は今まで以上に厳しいものに なるだろう。
働くにしろ大学に行くにしろ、この先は個人個人の問題になってくる。
私の世界からアイツは、徐々に遠ざかっていくことになる。
いつまでも一緒にいられないことは判っている。今の世界を終わりにしなければいけないこと も、ここから先は自分で選んだ自分の道を歩むのだと言うことも。
けれど、その時が怖くて仕方がない。確実に訪れると判っているのに。

(……まるで聞き分けのない子供だ)

欲しいと強請るばかりの子供。権利ばかりを主張して義務を全うしないような、自分に不都合 な事からは目を閉じ耳を塞ぐような、利己的な。
取り繕っている外見とはあまりにも違う中身に嗤いながら、私は歩みを早めた。
全部判っている。
だからこそ今だけは、まだ庇護の延長上にいる今だけは、まだ同じ道を歩んでいる今だけは、 互いに歩み寄って寄りかかって助け合って、依存していたい。
まったく、なんて進展を生み出さない思考だろう。
歩みを続けながら目を伏せる。歩き慣れた道は目を伏せていようとも何ら支障はない。
瞼に遮られた光を感じながらもう一度目を開けよう。
思考の羅列は今此処で一旦停止、優先順位上位のものをいい加減にやらなきゃ。
買い物に行って、夕飯を作って、アイツに文句を言いながら食事をして。
日常の生活を停滞させてはいけない。

(目を開けて、そこから切り替えよう)

ふ、と目を開ける。
けれどもそこに広がったのは見慣れた景色ではなかった。

そして始まるものは

暗闇に彩られた世界が、私を迎えた。


*    



一話を短くすることにしました。
長さを保つために無理していた部分もあったので。