11...Return. 「………っと、これでいいかな…?」 羽ペンを置いて手首を回しながら、目の前の羊皮紙を見やる。 つい先ほどまでが書いていたそれには、びっしりと文字が書き込まれていた。 傍らに開かれているのは一昨日セブルス少年に借りた「超難解魔法薬学」。 借りたその日はその本を読んで目的の頁を探す前に誘惑に負けた。 …つまり、関係のないところまで全て読んでしまったために、レポートを書く時間が 無くなってしまったのだ。 一度読んだことがあるとはいえ、見た者全てを記憶する能力を は持っていない。 どんなに興味深い内容であろうと、時と共に薄れていくのが人間だ。 昨日はドリンク作りのために一日奔走していた(主に材料集めのために)ため。 だからとしては不本意ながら、返却するその日にレポートを書くと言うことを やっていたのだった。 「余裕持った日付指定しておいて良かったよ…本当に。」 書き終わったレポートに目を通し、訂正すべき個所が見当たらなかったことに息を付い ては時計を見た。 夕食まではまだ少し時間がある。 は開いていた「超難解魔法薬学」を閉じ、脇に抱えて寮の自室から出た。 階段を下り進んでいくと、徐々に談話室の喧噪が大きく聞こえてくる。 (昔はとにかく苦手だったこの音も、今じゃ心を落ち着かせるから不思議だよな) そんなことを思いながら、は女子寮の扉を開いた。 途端に喧噪がクリアに聞こえてくる。 視界の端にジェームズ達が映り、は彼らが座るソファに近寄った。 向こうもそれに気付き、こっちこっち、と手招きをする。 どうやら今日が提出期限のレポートと格闘しているピーターを皆で手伝っているよう だった。 ほとんどの生徒のレポートは授業中に回収されたが、期限はあくまで「今日中」なので まだ間に合う。 ちなみに教科は魔法生物飼育学だった。 「 も見てくれないか?もしかしたら僕たちの見落としがあるかも知れないし。」 「…主席と次席が見落とすようなミスなら、ボクにも判らないと思うけど?それに残念 だけど、これから本を返しに行かなきゃいけないんだ。」 脇に抱えていた本を見せると、シリウスが大仰に顔をしかめた。 どの教科もそつなくこなすシリウスだが、教科に対する好き嫌いはハッキリとしていた 。 呪文学や変身術と言った杖を振る機会が多い授業を好み、魔法史や魔法薬学などは あまり好んでいない。 それでもテストではほとんど満点を叩き出すのだから凄い。 しかしシリウスの隣のジェームズは、全ての教科に興味関心があるらしい。 授業中の不真面目な態度はどうやらリリーの気を引くためらしいが…それを止めること の方がよっぽど気を引く事になると言う事を、本人はまったく気付いていない。 馬鹿と天才は紙一重、とはよく言ったモノである。 「、そんなの読んでたの?物好きだねー…」 「ジェームズだって先週、『幾何学的数占い』の本読んでたじゃないか……君、数占い は専攻してないだろう?」 「興味がある物はとことんまで調べるのが僕の信条なのでね。」 「結局の所、どっちもどっちなんじゃないのかな?」 リーマスがぽそりと呟いた。 とジェームズは同時にリーマスに視線をやり、呆れたように微笑む彼を見て 小さく息を付く。 それからは再び時計に目をやって、少し顔をしかめた。 「それじゃ、申し訳ないけどボクはこれで……ピーター頑張って。」 ピーターの目を見ないよう気を付けながら、はそそくさと談話室を後にした。 知るものは少ないが、実はピーターはある意味最強の能力を持っている。 はこっそりとその能力を「必殺上目遣い」と名付けていた。 ピーターは元々小柄でぽっちゃりしていて、ジェームズやシリウスのように「格好良い 」と形容するよりは「可愛い」と形容した方がしっくりとくる。 そしてピーターの涙目で縋るような上目遣いは、庇護欲をこれでもかと言うほど 駆り立てるのだ。 目の前で転んだ美少女に思わず手を差し伸べてしまう感覚と、似ていると言えば似てい る。 つまりその瞳を見てしまったが最後、面倒見ずにはいられなくなってしまうのだ。 面倒くさいことが何よりも嫌いなシリウスがあの場所で大人しかったのが良い例である 。 (ゴメン、ピーター……今は時間がないんだ!) ピーターの理解力のスピードと飲み込み具合を良く知っているだけに、 はあの場を去るしかなかった。 頭に浮かぶ「最強の」ピーターの姿を思い出し、慌ててそれを振り払う。 今はとにかくセブルス少年に本を返すことが優先事項、と は心の中で何度も復唱した。 そうしなければ思わず方向転換をして面倒を見たくなるほど、ピーターの必殺技は 最強なのである。 悪戯仕掛け人すら抵抗できないほどに。 セブルス少年に本を返し終わった後、は満足げに廊下を歩いていた。 主な原因はが持つ「近代薬学の発展」だろう。 この時代の近代は、つまりにとっての過去である。 最初は興味を示していなかったが、まったく知らない薬に関する記述を目に留め、 そのまま借りてきたのだ だが、原因はそれだけではなかった。 (セブルス…セブルスかぁ……) は心の中で「セブルス」と繰り返し呼んでみた。 初めは違和感があったが、何十回と呼んでしまえばそれもなくなる。 この度は、「スネイプ先生」を「セブルス」と呼べるようになったのだ。 本人曰く、「ミスター・スネイプ」は堅苦しいらしい。 最初は「スネイプ」と呼ぼうとしたのだが、どうしても「スネイプ先生」と呼びそうに なってしまうためにファーストネームで呼ぶことにしたのだった。 不満そうだったセブルス少年も、最後には折れてそれを了承。 それがの機嫌が良い残りの理由だった。 (昔、"スネイプ先生"がボクに母のことがあったっけ…って事は、今此処にいるボクを 母だと勘違いしたんだね) つまりそれは、元の時代のとこの場にいるを結びつけていないと言う 証拠だ。 元の時代に戻った後の行動さえ気を付ければ、今後も疑われる事はないだろう。 とりあえず支障なしと結論付け、は微笑んだ。 すると前方から見知った顔が近づいてきた。 はその顔を視界に収めると、きゅっと眉をひそめる。 それはつい昨日の夜に見た顔だった。 「奇遇だな、?わざわざ一人で俺の前に現れてくれるとは…」 「……貴方がこの道を使うと知っていれば、ボクが此処にいることはなかったでしょう ね。」 つい先ほどまで浮かべていた微笑みを消して、は冷たく目の前の男を見た。 子供らしくない鋭い視線に、一瞬男が怯む。 しかし自分の方が知っている呪文数が多い事を思い出し、男はにたりと笑った。 前回のことを思い出してか、男とには十分な間合いがある。 が男を締め上げるよりも、男の呪文がを捕らえる方が早い距離。 男が余裕の笑みを浮かべて杖を取り出すのを見て、は視線を鋭くした。 「廊下での魔法の使用は禁じられていますが?」 「この近くには授業で使う教室も、そして先生方の部屋もない。」 余裕たっぷりにそういう男を睨んだまま、は素早く杖を取り出した。 そして冷たい笑みを浮かべる。 杖を取り出す動作があまりにも手慣れていることに、男は驚愕を隠せずに を見やる。 学校で魔法を習うのに、杖を素早く取り出す必要はない。 だが戦いにおいて、それは勝敗を左右する重要なポイントだ。 は冷たく微笑んだまま、慣れた様子で男に杖を突きつけた。 「年齢の差が実力の差とは限りませんよ……」 動きを固める男に、は内心安堵の息を付いた。 実際の所、人間相手に魔法で勝負したことなど一度もないのだから。 が手慣れているのはノルウェーの森での経験が原因である。 薬草を採取するために危険な魔法生物の縄張りを訪れるのは、 にとって日常の 事だ。 そしてその魔法生物から身を守るためには、それなりの実力が必要である。 と目の前の男には、確かな経験の差が存在していた。 経験の差は、すなわち実力の差である。 「何なら試してみます?すぐに決着は付くと思いますけどね。」 事実、実習の成績は群を抜いて優秀なである。 落ち着いているの様子に、男は気圧されているようだった。 が笑みを深くする。 たったそれだけのことが、男を恐怖に染め上げた。 「いい加減しつこいですよ。ボクは気の長い方でも、ましてや温厚でもない。」 「 男は唇を噛みしめ、青い顔のまま踵を返した。 その姿が見えなくなるまでじっと待ち、は大きく息を付く。 杖を再びローブのポケットにしまい、汗で額に張り付いた前髪を払った。 それからはくすりと微笑んだ。 「いつまで隠れてるつもり?ジェームズ、シリウス、リーマス、ピーター。レポートは 終わったの?」 楽しげなの声に、それまで何もなかった空間から突如として4人が現れた。 ジェームズは悔しそうにマントのような物を畳んでいる。 シリウスとリーマスはどことなく不機嫌そうな気配を漂わせていた。 ピーターは心配そうにを見つめる。 するとジェームズがわざとらしく大きく溜息を付いた。 「まったく、せっかく僕たちが心配して助けに来たって言うのに出番がなかったじゃな いか!あーでもそれにしても、随分慣れてるみたいだね?」 「まさか、内心ヒヤヒヤしてたよ…人間相手に魔法で攻防した事なんて一度もないんだ から!」 冗談めかした会話を続ける二人を、相変わらず不機嫌なシリウスが睨みつけた。 元がつり目がちで端整な顔立ちだから、かなりの迫力だ。 その隣でリーマスも眉根を寄せている。 はちらりとジェームズを見て、それから降参したようにシリウスとリーマスに 向き直った。 「ゴメン、心配掛けて。次からは気を付けるよ。」 「少しは俺達を頼ろうとか、そう言う考えは起きないのか?」 シリウスが不機嫌な原因はどうやらそこにあるようだった。 きょとんとした顔でシリウスを見つめた後、はぷっと噴き出す。 それから不機嫌さを増大させるシリウスの目の前に拳を突き出した。 嬉しそうに笑ったまま、はシリウスに挑戦的な視線を送る。 シリウスもと同じように拳を突き出し、のそれに突き合わせた。 二人が同時ににやりと笑う。 「シリウスが望むのなら、嫌と言うほど頼ってあげよう。後悔するなよ?」 「男に二言はない。」 パンッ、と手を合わせて、二人は笑みを深くした。 それからはシリウスからリーマスに視線を移す。 先ほどより不機嫌さは減ったようだが、形容しがたい微妙な表情を浮かべている。 はリーマスの正面に立ち、下から顔を覗き込む。 「リーマス?リーマスは何に怒ってるの?」 「怒ってるわけじゃないよ…ただあまり心配させないで欲しい。 は無茶ばかり するから。」 「…………善処シマス。」 渋い顔をするに、リーマスは小さく笑った。 けれどもその笑顔の中には、何処か不安が隠れている。 はそれに気付きながらも何も言うことが出来なかった。 すぐ隣に立っているはずなのに、にはその距離が酷く遠く感じた。 |