17...Sway.




!!」


「え…あの、リリー…?」


「いいから!今すぐ!こっちに来て頂戴!!」


談話室の隅っこ、それがの定位置だった。
暖炉の熱は届くことがないが、もとよりノルウェーで過ごしてきた にはどうという事もない。
談話室の様子を一望できるという事もあっていつもそこに座っていたのだが、突然 現れたリリーに腕を引かれ、引きずられるようにして女子寮へと連れ込まれた。
途中から自身も自分で歩いたが、リリーの方が身長も足の長さも優勢である。
日本国内で比べれば比較的長身であろうも、さすがに西洋では小柄な少女 だった。
足の長さというコンパスの違いにリリーは気付くことなく、 は小走りにリリーを 追いかける。
辿り着いたのはリリーと、それにアリスとマーリンが振り分けられた部屋。
リリーが扉を開くと、そこにはアリスとマーリンが既に着席済みだった。
三人に囲まれるように配置された椅子がの席なのだろう。
はその椅子を何とも言えない表情でしばらく見つめていたが、諦めたように溜息 を付いてそこに座った。


、話があるの。これは大事な話よ。」


リリーの声は有無を言わせぬ迫力を持っていた。
は無言のままこくりと頷き、アリスとマーリンに視線をやる。
しばらく行動を共にして判明したことは、成績優秀で美人と評判のリリー・エバンズは 熱血で、時々思いこみのために暴走することがあると言うことだ。
大抵はアリスかマーリンがそれを止める役なのだが、今回二人はリリーとほとんど 同じ表情をしている。
この三人の中では一番大人しいアリスさえ真剣な表情を浮かべていた。
漂う緊張感には微かに眉をひそめて三人を順番に見つめる。


「……リリー、それで話って何なんだい?」


「これよ。」


さっとリリーが取り出したのは一枚の写真だった。
魔法界特有の写真がこちらに向かってひらりと手を振っている。
ずいぶんやる気のない写真だな…そう思ったは、その被写体が誰なのかを確認した瞬間に目を瞬かせた。
何度も瞬きを繰り返したが、目に映る写真の光景は変化しない。
機械のようにぎこちない動きでリリーに目をやると、完全に無表情だった。
いつも表情豊かなりリーの無表情ほど恐ろしいものはない。
改めては差し出された写真に目をやる。
場所は外、どうやらハグリッドの小屋近くらしい。
巨大な木の下で一組の男女がやる気なさげにひらりと手を振っていた…いや、正確に 言えば手を振っているのは女子生徒の方だけだ。
男子生徒は写真を見るものを睨み付けるかのように鋭い視線を送ってる。
それが誰かなどと考える必要などない、自身とシリウスだった。
にとってしてみれば日常の一ページなのだが、この写真のアングルが問題だ。
事情を  つまり実際のシリウスとの淡泊な関係を知らない者からすれ ば、二人はまるで恋人のように見えた。
写真の端に映るの腰にはシリウスの手が回っているし、 の手もシリウスの首に回っている。
抱きつくような格好の二人は、写真の中で動作の中の一瞬を永遠に閉じこめられていた 。


         …リリー、これはどうしたの?」


「その前に答えて…これは、どう言う事?」


リリーの声に抑揚がない。
アリスとマーリンの心配そうな、不安そうな視線を受けながら、 は小さく溜息 を吐いた。
一難去ってまた一難、とでも言ったところか。
しかも今回もシリウス関連の問題である。
何と説明すべきか言葉に迷いつつも、は真っ直ぐにリリーを見つめ返した。


「最初に言っておくけど、ボクとシリウスはただの友達だよ。」


「ならこの写真はどう言う事なの?、判ってるの?ブラックは彼女を取っ替え引 っ替えしてるのよ?は可愛いんだから、もっと良い相手が   


「だから、友達だって」


リリーの手から写真を奪い取り、へらりと手を振る自身を軽くつついた。
一連の動作ではなくこの瞬間だけ切り取れば、疑いを持ちたくもなるだろう。
実際にとシリウスは気が合うし、良く二人で話している。
それだけで何度もシリウスの彼女なのかと勘ぐられた事もあったし、前回の事件も 似たり寄ったりだ。
この写真がただ一枚だけならばそれで良い…だが、そんなことあるはずがないだろう。
悪くすれば校内にばらまかれている恐れすらある。
噂を一人歩きさせるのが一番怖い。
人の噂は簡単に変わっていくし、そしてその変化はより刺激的な内容へと発展していく ものだ。
ただ恋人かという疑惑が浮かぶだけならばよい。
しかし日にちと共に噂は広がり、変化し、付き合っているという断定情報が流れてしま う可能性がとにかく高い。
ひらひらと写真を振りながら、かろうじて映っていた"諸悪の根元"を発見し、 は安堵の息を付いた。


「ほら、ここ……シリウス、ちょっと退いて。君の後ろに…そう、その子だ。」


嫌々身体を動かしたシリウスの後ろから、ひょこっと小さな猫が顔を出した。
まだ仔猫らしく、身体の大きさはかなり小さい…実際、シリウスの両手に収まるサイズ であった。
鼻先だけが僅かに白く、その他の毛は全て艶やかな黒。
きゃぁ、とアリスが小さく声を上げてその猫に見入った。
しかしリリーとマーリンは訝しげにを見やる。


「この猫がね、突然木の上から落ちてきたんだ。ボクの上に降ってきたもんだから 驚いちゃって…体勢崩れたところを起こして貰ったんだ。」


「だったらどうしての手がブラックの首に回っているの?」


「……………………………………」


は無言のまま写真をじっと見つめた。
まるで睨むかのように写真の中の猫をじっと見やり、それから深く溜息を付いて 写真をリリーの手の中に押しつけた。
額を抑えて唸るに、アリスが心配そうに声を掛ける。


……大丈夫?」


「ああ…うん、大丈夫……だと思いたかった。うん。」


「言葉になってないわよ


マーリンが訝しげにを見やった。
はしばらく視線を彷徨わせた後、意を決したかのように背筋を正した。
それにつられるようにしてリリー達も背筋を伸ばす。
部屋の中に緊張感が走る。
少し硬い表情をしたが息を吸った。
そして一息で言う。




「ボクは猫が苦手なんだ」




「……………え?」


アリスがことんと首を傾げた。
リリーとマーリンも何度か瞬きを繰り返し、を見やる。
しばらくの間、沈黙が部屋を満たす。
それを切り崩したのはマーリンの笑い声だった。
初めは控えるような笑いも、次第に遠慮がない大爆笑へと変わっていく。
リリーとアリスはマーリンの爆笑のせいで笑うに笑えない様子だ。
口元に笑みを浮かべながらも、すぐ傍で大爆笑する人間がいれば自ずと笑いは冷めて いく。
リリーは改めて写真を見下ろした。
の猫嫌いが発覚した今、リリーの前にあったフィルターは溶けて消えていた。
確かにの顔はどことなく引きつっているし、シリウスの首に回された手は 彼の首を絞めんばかりに力が込められている。
シリウスの手がの腰にあるのは彼女の体勢を支えるためと、そして を引き剥がそうとする行為の延長にも見て取れた。


「そんな……ねっ、猫…!猫嫌い…ぶぶっ!!あっははははははははははは!!」


「ちょっと、マーリン!」


「だって、猫!猫!!この間ミセス・ノリスから逃げていたのはそう言う理由!? ってば可愛いー!!あはははははははは!!」


涙を浮かべるほど笑うマーリンに、しかしは何も言わなかった。
疲れたように薄く笑みを浮かべるは何処か遠い場所を見つめている。
そのの様子に何処か危険な気配を感じたリリーが、マーリンの頭を軽く叩いた。
遠い目のに気付いたマーリンはその笑いを押し込めようとするが、しかしその努 力はあまり報われていない。
肩を震わせてうずくまり、時折噴き出すマーリンは不審人物以外の何者でも無かったが 、リリーとアリスは努めてそれを無視した。
わざとらしく咳払いをして、の意識を呼び戻す。
は疲れた笑顔のままではあったが、リリーとアリスに視線を向けた。


「…………そう言う訳だから、あの写真は……あれ?」


訝しげに眉をひそめたに、リリーとアリスが首を傾げる。
しかしそんな二人の様子に気を止めるでもなく、はふいに浮かんだ違和感に 首を捻っていた。
先ほどは猫と事情説明のためにきちんと見ていなかったが、差し出された写真は 何処かおかしかった。
明確にその箇所を指摘できるわけではない、あくまで感覚的に感じたモノだ。
しかし、何故だか引っかかる。
そしてこういった引っかかりが記憶を取り戻す切っ掛けになるのかも知れない。


「御免、リリー…さっきの写真、もう一度見せて貰って良い?」


「え?別に、構わないけど……?」


リリーが差し出した写真を受け取り、見逃すことの無いように細部にまで目を走らせる 。
何かが違っている。
しかもそれは些細なことではなく、何か重要なことであるような気がした。
リリー達がこの写真を見て何も言わなかったと言うことは、それに気付くのは のみ、つまりそれはに深く関わっていることだと判る。
自身が良く知っている何かが違っている。
探るように写真の中の自分を見つめていただったが、ある一点に視線が行った 時にその身体を硬直させた。
の耳に、控えめな小さなピアスが光っていたのだ。
もちろんはピアスなどしていないし、穴も開いていない。
それにも関わらず写真の中のは、それが当然であるかのようにピアスを身に着け ている。
そしてそのピアスは、にとって非常に見覚えのあるモノであった。


「嘘だ                  …」


「…………?」


呆然とするに、リリーが心配そうに尋ねる。
はそんなリリーに視線を移して、それから深く息を吸い込んだ。


「ねぇ、リリー。この写真の中のボク…ピアスしてるね?」


「……?えぇ、そうね。」


写真を横目に見て、リリーがそう答えた。
まるで当然の事実を言うようなリリーの口調に、は拳を握りしめる。
写真の中の自分自身、そのピアスに視線を注いで、は尋ねた。




「今のボクも、そのピアスはしてる?」




「ちょっと、大丈夫?毎日着けてるじゃない、それ。」




怪訝そうに眉を寄せて、リリーが首を捻った。
その答えには愕然とした   は、ピアスなどしていない。
毎朝鏡を見ているのだから、突然ピアスが耳にあったら気付くだろう。
それに、ピアスを着けている感覚もないし、それに物理的にあり得ないのだ。

写真に写るピアスは、の母と一緒にその墓に埋められたのだから。


「………鏡、貸してくれる?」


…どうしたの?大丈夫なの?突然ピアスなんて……」


「アリス、お願い」


不安そうに尋ねるアリスに、は動揺を押し込め、低く呟いた。
微かに声も、そして体も震えている。
強く握りすぎた拳が白く不健康な色をしているのが見える。
躊躇いがちに差し出された鏡を引ったくらないように丁寧に受け取り、そして己の顔 を見た。
硬い表情の上に青白い顔色のが、鏡の中で瞬きをした。
視線を耳元に移す……しかし、ピアスは見えない。
恐る恐る手を伸ばしてピアスがあるだろう場所に触れてみる。
すると指先に軽く電流が走ったかのような、ピリッとした痛みが走った。
目の前にそれを持ってきて見ると、微かに赤くなっている。 どくん、と心臓が嫌な音を立てたのをは感じた。
背筋を流れる汗は単に緊張からか、それとも別の何かか。
暫くの間耳元を凝視した後、は無言のまま鏡をアリスに返した。
そしてふらりと立ち上がって部屋を出ようとする。
リリーとアリス、そしていつの間にか復活していたマーリンも、今度こそ危機感を 覚えた。


!」


リリーがを呼び止める…が、返事はない。
の歩みは止まることも、その速度を落とすこともない。
フラフラと危なっかしい足取りで扉まで移動する。
その手がドアノブに伸ばされた。


…!!どうしたの、一体何があったの!?」


「…………………………判ら、ないんだ」


の声には感情が含まれていなかった。
抑揚のない一本調子の声に、リリー達は何故かその背筋に冷たい物が走るのを感じた。
ドアノブを掴んだまま、の動きは停止していた。
完全に静止しているその様子が、生者であることを疑わせる。


「確かめたい事があるんだ…だから、行くよ」


以外の三人は、声を掛けることも、動くことも、満足に呼吸する事すらできなかった。
ぱたん、とやけに軽い音と共に扉が閉じられ、が部屋から立ち去った瞬間に彼女達ははっと我に返る。
胸に手を当てて何度かゆっくりと呼吸してから、が置いていった写真に三人同時に目をやった。
いつものが、その写真の中にはいた。
やる気なさげにひらひらと手を振る様子も、幼い顔立ちも、 全部がリリー達の知るだった。




「ピアスが…どうしたって言うの……?初めて会った時から、してたのに…?」




リリーの声が静かな部屋の中で、やけに大きく響いた。



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まだ引きずるシリウスとの仲の疑い。
彼女とピアスはどういった関係なのでしょうか?