吏部を目指せ!


喧 噪 の 中 の 一 家 団 欒

「んーっ、今日もよくやった俺ー!」


姮娥楼での仕事を終わらせた俺は自分を激励しながら夕刻の街を歩いていた。
つい先日働き始めた俺だが、こうして自分を褒め称えるのには理由がある。
何故ならば、俺が与えられた仕事は姮娥楼の飾り付けという、妙に重い仕事だったのだ。
俺の装飾が全て?娥楼の印象として客に影響することになる。
さすがに入ってすぐの絵だけは旦那が選んできていたが、それでも時々俺の意見を聞かれたりするんだ。
本当に、毎日が戦々恐々である。まぁ人間観察も楽しんでるから良いけどさ。
とにかく今日も一仕事を終えた俺は、自分へのご褒美として毎夜足を向けている酒楼へと今日も赴くことにした。


「いらっしゃい…あら、君じゃない。今日も仕事帰り?」


「そーなんですよー…あ、今日もお勧めを適当にお願いしますね」


「ハイハイ」


さすがに連日通っているために名前はもう覚えられている。
のんびり周囲を見回しながら菜を待っていると、隣の席に案内されてやってきたのはつい先ほども見かけた少女だった。
お互いの視線が絡み合い、少女の方が驚いたように目を見開いた。


「え…あ、さん!?」


「こんばんはー、秀麗ちゃん。家族揃って夕餉なんて、羨ましいなぁ」


未だに驚きを隠せずにいる様子の秀麗ちゃんに俺は微笑みかけ、それから彼女の後ろにいる男性二人ににっこりと微笑みかけた。
大人しそうなにっこり微笑み返してくれたのが秀麗ちゃんのお父さん、紅邵可さん。
やたら綺羅綺羅しい美形の青年が秀麗ちゃんの家人の此静蘭さん。
家人だけど家族同然に思われている人で、秀麗ちゃんの周りから害虫を駆除してる用心棒みたいな人だと聞いた。奥様に人気。
案の定静蘭さんは俺に胡乱な視線を向けている。


「初めまして、と申します。秀麗さんとは賃仕事で知り合いまして、恥ずかしながら毎回助けて頂いている仲です」


「……?もしかして碧州の画商の血縁の方かな?」


「よくご存じですね!ええ、画商の次男です」


にこにこにっこり、と微笑むと邵可さんはにこにこにっこりと微笑み返してくれた。
あーなんか和むなぁ。俺たちのやりとりを見て静蘭さんも視線を緩めてくれたし。
秀麗ちゃんは俺の言葉でようやく落ち着きを取り戻したみたいで、若干額に冷や汗を浮かべながらもいつもの笑顔を取り戻していた。
声を発さずに秀麗ちゃんが「ありがとう」と言ってくれるのを見て微笑み返し、そして始めて見る顔の少年に首を傾げる。
秀麗ちゃんに弟はいないって聞いてるけど、親戚の子とかかな?


「はじめまして、杜影月ですー。黒州から来ました」


です。碧州から来ましたよー」


そうして挨拶しているウチに、なぜか同じ卓を囲むことになってしまった。
家族団欒を邪魔するのは申し訳ないから遠慮したんだけど、邵可さんのお誘いを断るのはなんか気が引けて結局お邪魔してしまった。
俺の頼んだ菜も同じ卓に運ばれ、そのまま賑やかな夕餉が始まることになった。
ついでに、噂にしか聞いていない紅師と静蘭さんを間近で見れるまたとない機会ってコトで、俺は二人をじっくり観察することにする。
そんな感じで食を進めていたら、突然近くの書生が詩の朗読を始めた。
……酒に弱いならあんな有頂天になるほど飲むなよなー。
それに最近は青巾党とやらが活発になっているらしいし、国試受験生だーっておおっぴらにしない方が安全だろうにな。


「「あ」」


しかも綺麗に間違えて、それを秀麗ちゃんと影月君に気付かれている。
二人とも表には出さないけど国試受験者みたいだし、見た感じ有能そうだから気付くのも不思議じゃないかもしれない。
今年は女性官吏も登用するっていうし、秀麗ちゃんが受験者なのはまず間違いないんだろうなぁ。いろんな賃仕事を暇乞いしてるって噂だし。
影月君も年の割に落ち着いた素振りをしているし、書生の詩の朗読に耳を傾ける姿はとても真剣だった。
黒州でものすごい若さの州試主席及第が出たって噂も紫州に来る途中で聞いたし。


「はい、ご注文の菜だよ」


あわあわしている秀麗ちゃんと影月君は、その菜の到来に一度ほっとした。
が、その量の多さに秀麗ちゃんが驚いたように目を見開いた。
どうやら予想以上の量らしい。


「ちょっと荘おじさん、頼んでないものまできてるんですけど!」


「おごりだよ    まぁ半分は君の注文だけどね」


ぎょっとしたように俺の方を見る秀麗ちゃんに、俺は小さく苦笑した。
そして目の前に出された好物に早速箸を付けることにする。
………うん、相変わらず美味しい。


「これ、俺の好物なんだ。せっかくだからみんなにも食べてもらおうと思って」


「それに…秀麗ちゃん、またどっか行くんだろ?さんざん世話になったからな、ほんの礼だ。その代わり、帰ってきたらまた帳簿付けるの手伝ってくれよ」


その酒楼の主の言葉に、秀麗ちゃんは決意のこもった眼差しで頷いた。
きっと彼女にとって最初で最後の受験になるだろう、今回の国試。
俺はその雰囲気に水を差さないように気を付けながら、取り敢えず菜を口に運ぶ。
何となく静蘭さんからの痛々しい視線が突き刺さってくるが、部外者の俺が変にしゃしゃり出るよりはマシだと思うし…変に事情を知っている分、余計なことを言いそうだし。
俺の趣味「人間観察」における唯一の弊害がコレだ。知っているはずのないことまで知っていたりして嫌煙される。
秀麗ちゃんとは今後も仲良くしたいと思っているし、下手なことは出来ない。

でも、世の中にはそんな空気を読めない馬鹿もいるわけで。


「そういや今年の会試の噂、聞いてるか?何でもガキがやったら多いんだってよ。おまけに今回は女まで居るって噂だ」


「聞いたことあるぞその話。一人はマジだぜ。俺ぁ郷里が碧州でさ、神童が居るって昔っから有名だったからな。まだ十六、七で、噂じゃ状元及第間違いなしとか聞いたぜ」


げふん、と思わず喉に菜を詰めた。
慌てて水を飲んで詰まった菜を流し込み、大きく息を吐く。
まさかこんなところでそんな噂を聞くことになろうとは。
ていうかアイツは碧州出身なのか。身元割り出していたぶってやろうか畜生。


「だ、大丈夫、君…?」


「へーきへーき…苦しかったケド」


「あの…今の話、本当なんですか…?」


影月君が少し不安そうに俺の方を見て、小さな声でそう聞いてきた。
俺が碧州出身だってコトを思い出したんだろう。
俺は何とも言えない気分でさっきの隣の男の言葉を思い出し、苦い顔をした。


「まぁ、本当だけど……そいつが俺の親友で。だから噎せたんだけどね」


取り敢えずそいつが彩七家に入る碧家の人間であることは伏せておく。
秀麗ちゃんならともかく、彩七家ではない影月君に余計な情報を与えて不安がらせることは無いだろうな。
ちらりと感じた静蘭さんと邵可さんの視線にも微笑みを返して、不安そうな色を濃くする影月君の頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。
お、髪の毛柔らかいなぁ…珀明も柔らかかったけど、こうして撫でるとよく怒鳴られた。
そんなことを思い出しながらも、慌てる影月君に俺は笑いかける。


「でもアイツ、神童とか言われるたびにぷりぷりしてたなってコト思い出して。今の話聞いても絶対に文句言ってたと思うなーって想像したら笑えた」


こっちがにこにこ微笑めば、影月君も戸惑いながらも笑い返してくれた。
うんうん、やっぱり影月君には笑顔が似合う。
それにしても    若干何かをやり遂げた感が溢れる邵可さんの笑顔と、隣から聞こえてきた悲鳴……これは関連づけるべきなんだろうかどうなんだろうか。
そして邵可さんから無言の圧力があるような気がするのは気のせいだろうか…。
気のせいだと思イタイナァ、アハハハハ…ハハ。
俺は心の中で涙を流してみた。切ない。

邵可様の本性に気付いてみる。
酒楼での出来事を詰め込んでみたら少し長くなりました。
そして静蘭の家名が案の定出ません…草冠なしの「此」で代用です。 ご了承下さい。