俺と邵可さんは注文した料理を全て平らげてから酒楼を後にした。
ちなみに食事の半分以上は邵可さんがにこにこ顔で食べたって事を記しておく。
あんな量を俺だけじゃどうにも出来なかった。断言出来る。
「それじゃあ、私は戻ることにします」
「そうかい?気を付けて帰るんだよ」
邵可さんこそ、と言いそうになって俺は口を閉ざした。
短い時間だったけど、垣間見えた邵可さんの性格からすると心配はなさそうだ。
何気にあの人最強っぽいし…。
邵可さんと別れて、そのまま俺は帰路に向かう。帰路っていうか妲娥楼だけど。
それにしても影月君が胡蝶さんがどうの、とか言っていた気がしたな。
余り真面目に話を聞いていなかったけどどうだったんだろう。
「……ん?あれ、王さん?」
妲娥楼に向けて歩いていると、曲がり角で王さんにばったり出会った。
王さん 王旦那はこの近くで酒店を営んでいる人だ。
俺の仕事が装飾担当で昼間にふらふらしているから、会って話すことも多い人でもある。
手に大切そうに酒樽を持っているから、妲娥楼へ注文の品を届ける最中なんだろう。
「ああ、君。妲娥楼へ戻るところで?もしよければご一緒しても宜しいですかな」
「もちろんです。……ところでそのお酒は」
「良いお酒でしょう?金十両とんで銀三十両。優秀な坊ちゃんへのお届け物ですよ」
にこにこ顔の王旦那をよく見ると、その手には酒樽だけでなく何か札のような物もあった。
そう、それは俺も見覚えのある木簡。
驚きに目を見開くと、王旦那はその木簡を優しく撫でながら微笑む。
「史上最年少で州試及第って話ですから、前祝いか何かですかね」
史上最年少、となれば間違いなくコレは影月君の木簡だろう。
その影月君への届け物として妲娥楼に向かっているってことは、影月君は妲娥楼にいるって
ことらしい。
こうして顔を合わせることで俺の受験のこともバレるかもしれないけど、木簡がないと判った
時の蒼白な顔を見てしまっている。
あの表情が笑みに変わるのなら、俺の事情なんて些細な物でしかない。
徐々に近づいてくる妲娥楼、だが俺はふといつもと違うところに気付いた。
「……妲娥楼、やけに静かじゃありません?」
「本当ですねぇ…おや、でもあの坊ちゃんはいるみたいだ」
近づくにつれて気絶している破落戸(腰に青絹布があるから青巾党の一味だろう)が一面に転がっているが、王旦那はそれを気にした様子もなく避け、時に踏み越えていく。
俺もこういった手合いに興味はないから王旦那と同じようにして彼らを乗り越えた。
そして唯一意識のある人間が集まっている室の中をのぞき込むと、そこには影月君だけでなく秀麗ちゃんと静蘭さんも居た。
更に言うと親分衆もずらりと勢揃いしている。圧巻だ。
「おやまぁ、じゃないかい。今日はまた随分と遅かったね」
「アハハ、ただいま胡蝶さん。それとさっきぶりだね、影月君に秀麗ちゃんに静蘭さん」
王旦那から木簡を返してもらった影月君は、俺の言葉を聞いてびっくりしたように俺の方を振り返った。
どうやら今まで俺の存在に気付いていなかったらしい。
それは秀麗ちゃんも同じみたいで、かなり驚いた表情をしていた。
その秀麗ちゃん達の知り合いらしい、やたらと身なりの上等な人たちが俺を興味深そうに見つめてくる。
その内の一人は花街では知らない人はいない藍様こと藍楸瑛将軍だろう。見たことあるし。
「はじめまして、です。妲娥楼で賃仕事をしています」
「あ、ああ…李絳攸だ」
俺が丁寧に頭を下げると、藍様の隣の隣にいた几帳面そうな青年が自己紹介してくれた。
名前を聞いて俺はちらりと腰の佩玉を見やった。それはかなり高位のもの。
つまり、彼が吏部侍郎の李絳攸であることは疑いようもないわけだ。珀に殺されそう。
吏部侍郎と藍様の間に挟まれた青年は何故か俺を恨めしげに見つめていたが、これはもしかするともしかするのか。
吏部侍郎と藍将軍が主上の側近になったという話は噂で聞いているし。
俺は傍目から見て可笑しくない程度に、それでも十分丁寧な礼を三人にする。
顔を上げて、真ん中の青年ににっこりと微笑みかけた。
「お初にお目にかかります。確かに骨格はかの家のものですね」
後半は彼らにだけに聞こえるよう声を落として囁く。
骨相を見るのが得意だった珀明に何故かしごかれて俺もある程度の骨相なら見れる。
特に王家の骨格なんて言うのは血が濃すぎるせいでかなり特徴的で判りやすい。
そして驚きに目を開いた三人に何か言われる前に、俺は影月君達の方を振り返った。
相変わらず百面相をしている秀麗ちゃんと、そして酒樽の前で呆然としている影月君。
取り敢えず影月君の方に近づいて、目線を併せるため腰をかがめる。
「ねぇ影月君、このお酒、影月君飲む?」
「いいいいえ、飲まないですっ!」
「じゃあ俺が貰って良い?代金はもちろん払うから!」
俺の言葉に影月君がきょとんとした顔をする。
聞こえた話からすると、もう一人の影月君?が影月君の路銀全部使い果たしてこの酒樽を買っちゃったらしい。
つまり、影月君は今無一文なのだ。先立つものがなければ州試主席及第といえども会試に臨むことすら出来ないことになるだろう。
妲娥楼で働き始めてからの給金でこの酒樽くらいは買えるし。
何よりも王ですら滅多に飲めない酒を、俺は一度で良いから飲んでみたい…!!
「代金なんていいですよ!?お酒は差し上げますから…」
「いーや、それじゃ俺の気が済まないね!だから、ハイ、これで交渉成立!やったお酒ー!」
ボスン、と影月君の手のひらの上に巾着を載せた。
中身はちゃんと確認してないけど、このお酒の代金分は入っているだろう。
俺は影月君の目の前に鎮座していた酒樽を抱え上げて、微かに香るその匂いに頬を緩ませた。
ああ、コレが超高級酒の芳しき香りなのか…!
超高級酒に浮かれていたこのときの俺は、周囲の胡乱な視線にも一切気付かなかった。
そして、主上とその側近達からの訝しげな視線にも。
君も「見る目」はある人です。芸術作品などを見る目は珀明に鍛えられました。
人を見る目は、人間観察をしているうちにスキルアップしていったんじゃないのかな。
取り敢えずコレにて「会試直前大騒動!」沿いは終了でーす。