吏部を目指せ!


威 風 堂 々 孔 雀 の 君

予備宿舎で既に名を知らしめている藍龍連、通称孔雀男もしくは笛男は予備宿舎の生活をほとんど寝て過ごしていた。
机案にかじりついて勉強している身としては甚だ腹立たしいだろうが、それでもまだ笛を吹かれるよりはマシだろうと思う。
ちなみに俺は勉強をしている側ではないので孔雀の君が何をしていても気に障ることはないんだけど。
むしろ孔雀の君の日常生活を一日張り込みで観察したいくらいだ。
珀明に見張られてるから今は出来ずにいるけど、予備宿舎にいる間に絶対に果たしてやると心に誓った俺のささやかな願望だ。


「………しかしそれはそれとして、お腹空いたな」


「脈絡がないぞ。だが…確かにもう昼時だ」


「何かいい匂いするなぁ…誰か料理してんのか?」


予備宿舎で過ごす受験生達の食事情は、受験生の手持ち金にかかっている。
金があるヤツは弁当を部屋まで届けて貰うことも出来るが、金のないヤツは自炊なりなんなりで、とにかく自力で飯を用意しなきゃいけない。
俺も珀明もそうやって頼んで飯を得ていたが、どうやらこの宿舎には自炊している人がいるらしい。
……なんかほぼ十割の確率で秀麗ちゃんのような気がするけど。


「ちょっと俺、見てくるわ。知り合いかもしれないし」


「は?知り合い?お前いつの間に…」


「じゃ、いってきまーす」


珀明の言葉を遮るようにして、俺は自室をあとにした。
そして匂いをたどりながらふらふらと歩いていくと、辿り着いたのは案の定秀麗ちゃんの部屋だった。
中からは美味しそうな匂いと、そして賑やかな会話が聞こえてくる。
秀麗ちゃんの声と、これも予想はしていた影月君の声。
しかし聞き覚えのない声が一つだけ、その中には混じっていた。
誰だろう、そんなことを考えながら俺は秀麗ちゃんの部屋の扉を叩く。
返事と共に開いた扉から現れた秀麗ちゃんは、俺の顔を見て驚いたような顔をしたあと、少し嬉しそうににっこりと微笑んだ。


さん!いらっしゃい、さんもお昼食べる?」


「そーだな、ちょっと欲しいかも…あれ、孔雀の君だ」


部屋に招き入れられて奥に進むと、そこには影月君と孔雀の君が居た。
さっき聞こえた覚えのない声は孔雀の君の声だったのか。考えてみれば孔雀の君の声はまだ聞いたこと無かったもんな。
俺の言葉に孔雀の君が俺の方を振り返った。
手にしっかり茶碗を持って頬に米粒を付けて頭にひらひらと孔雀の羽をひらめかせている姿は妙に威風堂々としていて、潔くも凛々しい。
俺は秀麗ちゃんに勧められて孔雀の君の隣に腰を下ろす。
そして自己紹介をしようと孔雀の君の方に向き直れば、やたらと顔が近い場所にあった。


「ぅおわ!?な、何!?」


「今の呼称は面白いな…そなた、名は何という?」


「えーと、。碧州出身だ」


「ふむ。私は藍龍連という」


突然目の前に差し出された手に戸惑いながらも、取り敢えず握り返してみた。
なんか妙に力の籠もった握手だったけど、どことなく孔雀の君は嬉しそうだったので何も言わないことにする。
ひとしきりブンブンと上下に振られたあとで、孔雀の君は再び食事を再開した。
気付くと俺の目の前にも膳が並べられている。秀麗ちゃんてばなんて手際が良いんだ。
本当は味見程度に留めておくつもりだったけど、ここまでしっかり用意されちゃったら食べない方が失礼なので頂くことにする。
一番近くにあったおかずを何の気無しに口の中に放り込んで、俺はそのおいしさに思わず目を見開いた。


「しゅ、秀麗ちゃん!?これ秀麗ちゃんが作ったの!?すっげー!!」


「ええと…あ、ありがとう」


「もしお金に困ったらウチに相談してよ。庖丁として破格の値段で雇うから!」


「……………。お金持ちってみんなこうなのかしら……」


俺の言葉に秀麗ちゃんは妙に疲れた顔で乾いた笑みを浮かべた。
話を聞こうと頭の向きを変えると、もりもりと食事を続ける孔雀の君の奥で影月君が困ったように眉根を寄せて笑っている。
え、だってうち商家だし、見返りがなかったら援助も出来ないんだもん。
せっかく菜の腕が凄いってことが判ったんだし、これで食をつないでいくって道も悪くはないと思うんだけどなぁ。

まぁ、孔雀の君が「嫁き遅れた暁に専属庖丁として召し使わす」なんて発言をしていたことが原因だったと後に知ることにはなるんだけど。


「ん、そういや孔雀の君ー」


「なんだ?」


「近いうちに一日観察したいんだけど、良いかな?」


「ふ、容易いことだ。素晴らしき名を与えて貰った礼には足りぬがな」


カチン、と秀麗ちゃんと影月君が固まった。
……あっれ、俺、この二人に趣味が人間観察だって言ってなかったっけ。
伝え損ねていたらしいことに今更ながら気づき、俺はこっそりと冷や汗を流した。
取り敢えず秀麗ちゃん達に縁切られませんように。

孔雀の君、もとい龍連と遭遇。
観察宣言をされてもドンと受け止めるのが龍連の懐の広さ。