ドンドンドン、と目の前に山が三つ並んでいた。
真っ白で所々黒いその山は、薄っぺらい紙という存在が積み上がった成果だ。
一枚の厚さは指と指の間で現すのも困難なくらい薄いのに、一体どれだけ積み上げられればここまでの山に成長するのだろうと、俺は思わず現実逃避気味に考える。
しかし目の前の現上司はそんな俺の逃避行もプッツリと断ち切る発言をかました。
「右の書簡の計算、真ん中の書簡の添削、左の書簡の検算を午後までに終わらせろ」
「……黄尚書、コレは死刑宣告か何かですか」
「ただの仕事の指示だ。無駄口を叩いている余裕があるのならば増やすが?」
「誠心誠意取り組ませてイタダキマスッ」
こうして今日も俺の一日は始まる。
魯官吏に割り振られた戸部での仕事。
『十七位、進士 その実力を考慮して午前は戸部での仕事だ』
それが、俺が魯官吏に言われた言葉だった。ちなみに午後は秀麗ちゃん達と同じ府庫の書簡整理を言い渡されている。
実力云々と言われたからには秀麗ちゃん達みたいな正規の仕事じゃなさそうな割り振りも覚悟していたんだけど、与えられたまともな仕事に拍子抜けしていたのは過去の話だ。
実際に戸部尚書に挨拶をして仕事を与えられた瞬間、俺の認識は覆った。
働き初めてから知ったことだが、この戸部という場所は"魔の戸部"として名を馳せているらしい。由来は戸部尚書の的確すぎる采配によるらしい。
実際に働き初めて見ると確かに戸部という部署は他部署とは空気が違った。
なんていうか、全員が鬼気迫っている。
「大丈夫ですか、君?まだ進士なのに此処までさせて…」
「いえ、もう慣れてきました…計算も実家の手伝いで慣れてますし。それより、戸部配属の進士が俺だけなのは…えーと、気のせいですか?」
「今年は君だけですよ。それだけ君が評価されていると言うことでしょうね」
書簡の山を自分の机案に運んで来たところで声を掛けてくれたのは景侍郎だった。
この戸部という場所で俺のことを唯一気遣ってくれる仙人のような人だ。
もちろん俺も景侍郎も仕事をしながら喋っているので黄尚書も何も言っては来ない。今のところは。
最近では使うことも面倒になった算盤を一応は側に置いて、目の前に並ぶ数字の羅列を追いかけながら景侍郎の言葉を飲み込む。
魯官吏はこの魔の戸部で耐えられるのは俺だけだと判断したのだろうか。
それとも基本的に進士は送り込まない部署の一つである戸部に俺を嫌がらせ的に放り込んだだけなのだろうか。真実は魯官吏のみぞ知る。
「……っし、次は添削…ん?添削?」
計算の山を根性で終わらせてから次の山に手を伸ばす。
黄尚書の説明の言葉を反芻しながら書簡を手に取った瞬間、俺の顔は思わず引きつった。
慌てて一番上の書簡だけ手に持って黄尚書の処に駆け寄る。
黄尚書は仮面の奥で眉を寄せて(実際には見えないけれど、雰囲気からして間違いない)無言で俺の言葉を促した。
俺は驚きに言葉が上手くまとまらないままに書簡を差し出すが、黄尚書は仮面の奥で鼻で笑い俺が何かを言う前にそれを突き返す。
「こっ、戸部尚書!?この書簡って他の進士の作成書簡ですよね!?添削って!?」
「使えない書簡を使えるように書き直すのは当然のことだろう」
「どうして進士の俺がそんな仕事をやるんですか!?」
「 進士、お前の仕事は私が決める。さっさと仕事を片づけろ。未処理の書簡は山ほど残っているのだからな」
え、あれ、俺ってまだ明確な配属先も決定してない進士だよね?
他の進士の作成書簡の添削って普通は現職の官吏が行うべき仕事じゃないっけ?
俺は間違っているのだろうか、と思いながら思わず救いを求めて現職の施政官たちを振り返ってみた、が、一斉に顔を逸らされた。
嗚呼無情。
俺は心の中で滂沱の涙を流しながらすごすごと同僚の書簡添削に勤しんだ。
願わくば俺が添削したって事が書簡作成者にばれませんように…。
配属先は戸部でしたー。商家の次男坊ですから計算は得意って事で仕事もさくさくやってるみたいです。
進士の戸部配属者が君だけって言うのは当然のごとく捏造です。
朝廷でのお仕事ライフ初っぱなが戸部だと鼻っ柱をバキバキ折られたあげくに使えない烙印を押されてポイ、
な気がするんですが私だけでしょうか。
そんな事態を避けるために厳しすぎる部署への配属は基本無いのかなーと思ったり。
そもそも進士受け入れをしなさそうな部署でもありますけどね。