吏部を目指せ!


向 か う 山 脈 、 標 高 知 ら ず

午からの府庫での書翰仕事は、正直な話、戸部での仕事よりは断然楽だった。主に精神的な理由で。
心の中で幸せのひとときをかみしめながら算盤の存在を半ば無視しつつ計算を進めていく。
さすが状元と探花だけあって秀麗ちゃんも影月君も文書を取り扱うのがとにかく早いし正確だし的確で、俺なんか足元にも及ばない。
その代わり実家が商家なだけあって計算はこの中で一番速いけど。
適材適所の名の通り仕事を進めていく今の状況は俺にとっては何よりも楽しい時間で(俺の得意分野はすべからく俺の好きな分野だ)ウキウキしながら筆を滑らせていく。
今くらい良いじゃないか、嫌いな仕事やらなくたって!


(しっかし妙な数字だよなー…)


計算を続けるたびに思う不可解な数字の変動。
コレが実家だったら殴り飛ばされても文句が言えないような無茶な支出から、親父を唸らせて最終的に殴らせる巧みな誤魔化し方の支出まで様々存在する。
結局はどれも金額とその価値と数量の違和感がぬぐえない偽造文書だ。
目に見えてよく判る偽造はそのまま影月君の机案に回して、俺は細かい修正と隠れたちょろまかしを見つけだすことに勢力を注ぐことにする。
近頃二人がこの手の書翰に注目していることを考えると、きっと提出課題の材料にするつもりなんだろう。つまり偽造とかちょろまかしの断罪が課題って事か。


(いつも大変そうだし、コレくらいのお節介は許されるよなー)


俺の手助けを借りようとしない秀麗ちゃんと影月君の二人を言いくるめて納得させたのは計算一山分の手伝いだった。
最初は大丈夫だからと何度も断られたが、顔色を見たら誰も大丈夫だなんて言えないような顔の年下を見捨てるなんて出来るはずもない。
影月君には素晴らしい酒を譲って貰ったという借りもあることだし、胡蝶さんから秀麗ちゃんの世話も頼まれたし、人間観察の成果を発揮して二人の弱いところを正確につつきながら手伝いを願い出ること二日で受理された。
二日は長いぞ?平均陥落時間は二刻だ。


「……っと、こんなもんか。そんじゃ俺、向こうにいるから何かあったら声掛けてー」


さん、有り難う!さんも頑張ってね、無理しないのよ?」


「有り難うございます、お疲れさまでしたー」


計算処理を一山終えると、俺は背筋を伸ばしながら立ち上がる。
本当はもっと留まって仕事を手伝いたいんだけど、それは二人が許してくれなかった。引き際は肝心だって言うし、これ以上の手伝いは今は諦めよう。
少し申し訳なさそうに、それでも表情の下に心からの喜びを隠しながら俺に手を振ってくる二人に向かって俺もひらりと手を振った。
そして俺は本棚をいくつか越えた先にある自分の机案に向かい、積み上がる書翰を見つめながら軽くため息を吐く。
目の前に広がるのは、秀麗ちゃん達には及ばないまでも十分山脈を形成しつつある書翰だ。その一番上の束を掴んでぼんやりと文字を目で追いかける。


「あーあ、本当に主上の言ったとおりになってきたよ」


着々と標高を高くしていく書翰の山脈に僅かに痛み出す頭を堪えながら、姮娥楼から持ってきた胡麻団子を口に放り込んだ。うん、美味しい。
肩肘を付きながら書翰の山脈を切り崩していき、逆に処理済みの書翰で山脈を築きはじめる。
ある程度山が出来たら両腕に一杯抱えて秀麗ちゃん達が使う出入り口とは違う場所から身を滑らせて書翰配布に向かう。
秀麗ちゃん達が俺の書翰の量を見たらまた手伝いを断ってくるだろうからな。
それに正直な本音を言うと、秀麗ちゃん達に嫌がらせをしてくる馬鹿な下吏達に親密度を知られたくないっていうのも理由の一つだ。
年下の庇護も大事だけど、俺は俺の身の振り方も大切にしたい。
それにこういった経験が二人を打たれ強い雑草みたいにするんだろうし!どれだけ引っ張っても根を完全に抜き取ることが出来ない、抜いても抜いても生えてくる雑草みたいに。


(俺も結局は利己的でちっちゃな人間でしかないもんな)


自嘲気味なため息は薄暗い空気の中に一瞬だけ白い影を残して消えていった。

どんなに頑張ろうとしてもやっぱり自分の身が一番大切だと思うわけです。そう言うところは
商家だからかドライな君でした。解説しなきゃ通じない。