「は?泥団子?」
その言葉を聞いた瞬間、俺は一気に体から力が抜けていくのを感じた。
秀麗ちゃん達が嫌がらせを受けたと聞いたときから抱いていた心配事が見事に氷解するのを胸の中で感じる。泥団子ならば少なくとも殺傷性に関しては心配する必要もない。
もちろん精神的に受けた衝撃は計り知れないかも知れないが、女性新人官吏と言うことを考えると今後の陰湿な嫌がらせへの第一歩では無かろうか。
だから後悔と罪悪感に苛まれながらも、俺は手を出さない。
それは秀麗ちゃん達が自分の足で乗り越えなければならない問題であって、誰かの助けを受けていいものじゃない。今回ばかりは手助けも怠惰にしかならない。
「……有り難う、珀明。教えてくれて」
「人心には聡いくせに相変わらず不器用だな、」
珀明が呆れたようにため息を吐いた。
俺は返す言葉もなく肩をすくめることしか出来ない。
きっと珀明は俺が吏部で何をしたいと願っているのかをもう感づいて居るんだろう。
そうでもなければ正義感に溢れる珀明は俺を責め立てているだろうから。
珀明のその態度が俺の中の罪悪感を少しだけ和らげる。
でも、それでも、秀麗ちゃん達に何もすることが出来なかった得事実は俺にのし掛かり、ちくりちくりと胸を苛んだ。
「珀明、俺はどっちも掴んでみせるよ。秀麗ちゃん達も、吏部も」
吏部に行きたいから目立ちたくない。
秀麗ちゃん達を馬鹿な官吏共から護りたい。
それはどちらも俺の中に強くある気持ちで、どちらか片方を抑えるのは後悔ばかりを生む選択肢にしかならなかった。
だから、俺はどちらも選ぶ。
今まであった抵抗も遠慮も後悔も全部捨てて、どちらも奪い取る。
これまでだって俺はずっとそうやってきて、この場所に立っているのだってその結果で。
「当たり前じゃないか、今更何を言ってるんだ?」
「……ですよねー」
くっと喉の奥で笑う。時に俺以上に俺のことを理解している珀明らしい言葉だ。
笑いながら俺は珀明から貰った情報を頭の中で組み立てていく。
時間と場所と聞く限りの人間性を省みて、その人物を素早く特定する。
つまり秀麗ちゃん達に嫌がらせをした救いようもないほどの馬鹿共を。
思い当たる人物が片手ほどに絞れた辺りで俺は珀明を見た。
「じゃ、さっそく行ってくるから」
「……あの山積みの書翰はどうするんだ」
「もう終わってるよ。あとは運ぶだけだもんねー」
悪戯っぽく微笑んで書翰を一山担ぎ上げる。
紙の束は重たいけれど、金属製の彫刻品なんかよりはよっぽど軽い。
充実感に満たされ微笑みを浮かべたまま室を後にする俺には、珀明の誰かを哀れむような表情は見ることが出来なかった。
そして数刻後、何処かで誰かの奇声が聞こえたのはご愛敬。
短い。君の決意表明です。