吏部を目指せ!


も う 一 つ の 課 題

純粋な秀麗ちゃんと影月君から労るような雰囲気を感じ取り、そして歪んだ珀明からは訝しむような気配を感じ取りながら、俺は三人と別れる。
今日というこの日、俺は工部に配属された。
そしてそんな超新人下っ端の俺は、官位を授かったその日から工部尚書に呼び出されて酒臭い執務室へと足を向けることになっていた。
そして辿り着いて早々、酒臭い尚書とじゃらじゃらした侍郎に取り囲まれる。
相手は二人だから囲うというのは語弊があるかも知れないけれど、威圧とか酒臭さとかが二人分以上の何かとして俺の周りを漂っているから間違ってない。


「……で?てめえ、黎深に何言われてきたんだ?」


じろり、と管尚書が俺を睨み付けてくる。
さすが白州・黒州のならず者達の総元締め、両州にまたがり強大な縄張りを張る天下御免の極道一家の総領息子だ。
背筋が張るような厳しさの込められた視線だったが、それでもそこに悪意は含まれていないからまだ俺は耐えられる。
俺は視線を受け止めたまま懐から書翰を抜き出し、それを目の前に置いた。


「覆面官吏として工部で働くよう申しつけられました。これはその旨が書かれた書翰になります」


「ぺーぺーの新人が覆面官吏だァ?」


「もちろん尚書の仰るように新人ですので、常時工部で働きながら不審な点が見つかった時だけ吏部に顔を出すように言われています」


そう、俺の"本当の意味での"配属先は吏部だ。
吏部に配属され、覆面官吏として工部の調査を命じられた。
だが覆面官吏だなどと大っぴらにばれては不味いため、俺は最初から工部に配属されることになったのだ。
当然のごとく紅尚書と管尚書は同期の親友だから話は伝わっていたのだろう。
俺の話を聞いていた欧陽侍郎がすうっと目を細めた。
それが当然の態度だと思うから俺は何も言わず、ただその視線を真っ直ぐ受け止める。


「……それなりの準備はしてあるんでしょうね、君?」」


「なんだ陽玉、知り合いだったのか?」


「玉だと何度言えば判るんですか破落戸尚書!…欧陽家は碧家の門家筋、「碧門四家」のひとつですから、彼の家と交流の深かった画商の次男坊を知っているのも当然のことです」


それは、少し調べれば誰にでも分かる事実だった。
この朝廷で、最初の配属先が自分の親戚身内知人が在籍する部署になるになるのは別に何ら珍しいことではない。
もちろん賄賂だなんだと不正の絡んだ事情もあるが、近しい関係にある者同士で近しい考え方を持っているというごく自然な事情もある。
つまり俺が工部に配属されると言うことは別に疑わしいはずもない、むしろ実家が画商で知り合いが侍郎っていうお膳立てされた"当然の結果"にしか見えないのだ。
だが俺は別にそれだけの理由で工部に配属された訳じゃない。
それまで小脇に抱えていた冊子をぽん、と目の前に置く。


「工部に配属されることを希望した が書いた課題、"工匠の人間性と作品の付加価値の相関理論"です」


「課題…ですって?」


「元々が吏部配属ってこたァ吏部に課題出して気に入られてんだろ?だったらなんで そんな課題が…って、まさか手前ェ」


「盗作じゃないですよ!この課題は俺が!五年の月日を掛け!魂を込めて作り上げた!努力の集大成!!」


胡乱な目をした管尚書に思わず俺は身を乗り出してしまった。
しかも今まで頑張ってた丁寧な言葉遣いまでも綺麗さっぱり飛んで消えた。
身を乗り出した時に床を叩いた音が、突然静かになった室の中に響きわたる。
やばい、尚書にこんな口聞いて俺どうしよう死ぬしかない?
それでも管尚書から視線をはがせないまま、床を叩いたままの姿勢で冷や汗をだらだらと流し続ける。


「……見せてみろや」


静寂を破ったのは管尚書の低い声だった。
俺は言われるがままに課題を差し出し、それを読み進めていく管尚書と欧陽侍郎の姿をじっと見つめる。
課題の内容に対して不安はない。
今までの俺の経験をつぎ込んで作り上げた課題は、俺にとっては当たり前のことだったから二日で書き上げることが出来たけど(調査期間とか必要ないし)実質五年がかりの超大作だ。
校正に校正を重ねて練り上げられたそれは、ほかの進士の課題とは比べるべくもない出来のはず。
ただ問題は、その内容そのものが管尚書に気に入られるか否かだ。
結局の所俺の趣味は人間観察だから、どんなに工部に沿った方向に持っていこうとしても課題の対象は人間になる訳で、そうするとやっぱり人事とか適材適所とかそういう方面の話になってしまう。
今回はその要素をなるべく省いたつもりだけど、客観的に見てどうなのかは俺にはよく判らない。
ぱらり、と頁をめくる音だけが室に響き渡る。


「ほぉ…?"趣味・人間観察"ってのは冗談じゃねぇらしいな?」


ばさ、と俺の課題が投げ捨てられた。
思わず俺は叫びそうになるけど、頑張って堪える。
大丈夫、俺、負けない!
真っ直ぐ管尚書を見上げると、尚書はにやりと笑った。


「合格だ…下っ端としてさんざ扱き使ってやるから覚悟しとけよ、小僧?」


「…っ、有り難うございます…!」


俺は跪拝なんか忘れてただただ思い切り頭を下げた。
認められた。吏部でありながら工部であることを俺は認められた!


そして俺は正式に、覆面官吏として工部配属になった。

覆面官吏は侍郎昇格可能性の高い官吏でつまりは偉い人ですけど、まぁそこはそれとして。
人間観察とかの潜り込む能力はずば抜けているにしろ、他に関してはぺーぺーの新人なんで
取り敢えず適材適所的な意味で覆面官吏就任…って感じの流れです。
絳攸が覆面官吏になれないみたいに、目立っちゃうと潜り込んだ時にあっさりばれるんで
ずっと目立ちたくなかったんですね、君は。目立ってたけど。