違和感の恐怖

(あぁ…ここまで来てしまった……)

足場の悪い道を進みながら、私は心の中で盛大に溜息を吐いた。
先頭を歩くのは冒険者として悪路を進むのに慣れているフォルテとケイナ。
続いてトリスとマグナとネスティ、最後に護衛獣組。私は最後尾だ。
若干息が切れつつあるネスティの後ろ姿を眺めつつ、私は森の中を見回しながらのんびり 足を進めていた。

私たちはレルムの村を目指していた。
ケイナの記憶喪失、聖女の噂、派閥としての噂の追求。
聞き慣れた言葉を頭の中に流し込んでひたすら従順に動いていた結果が、これだ。
まもなく殲滅される村への訪問。
全てを知っている私が、この村に踏み込むことはある種、冒涜でしかないだろうに。
だって私は私のことしか考えていない。
この村に生きずくすべての人々が殺されると判っていても何の行動も起こさず我が身の保身 ばかりを願う私が、この村の未来像を知っていると言うことが冒涜だ。
もちろん罪悪感はある、だけど、一番可愛いのは自分なのだ。
私は見ず知らずの他人のために命を投げ出せるような人間じゃない。

(……殺されたふりして逃げられるかしら)

村の周りは既に包囲網で囲まれているだろう。
だからといってスポーツでしかない剣道をやっていた私が、軍人相手の戦闘で逃げられる はずもない。
昼間のうちに、帰る観光客のふりをして逃げられれば良いけれど。
村人を殺すことに抵抗を覚えていた彼らだから、戦闘が始まる前であれば、村から出ること も許されるだろう。
むしろ昼のうちに出ていく観光客を規制し始めれば怪しまれる。

(上手くマグナ達から離れて、日の出ているうちに村を出よう)

そこまで考えをまとめ上げて私は安堵の息を付いた。
しかし私にとっては安堵の息でも、端から聞くとそうではなかったらしい。
隣を歩いていたレシィが疲れた顔で私を見上げてくる。

「やっぱり、さんもお疲れですよね?さっきから汗一つかいてないから、すごいなぁ って思ってたんですけど……」

「へ?…あ、いえ、私は体質的に余り汗をかかないだけなんです。レシィさんこそ 大変でしょうに気配りさんで凄いですよ…私にはまねできませんもの」

突然声を掛けられたことに驚きながらも、私は柔らかく笑みを浮かべながらそう 答える。
するとレシィは何処か照れたように微笑み返してくれた。
その微笑みはとても可愛らしかったけれど、私の思考はそれよりももっと根本的な 部分に対する疑念に溢れかえっていた。
考えてみれば山道を随分と長いこと歩き続けてきたのだ。
いくら剣道をやっていたとはいえ持久力がそれほどある訳でもなく、第一山登りに 関しては全くの素人な私が疲れていないことに対する疑問。
自らに対する疑念がグルグルと頭の中を駆けめぐっていく。

(此処と日本で人間の基礎体力に差があるとは思えない)

それは最初の戦闘を見たときに思ったことだ。
別に野盗達が弱かったとは思わない。日本の不良なんかと同等ぐらいの強さだった。
少なくとも高校にいた柄の悪い男達よりは随分とマシだった。
そう考えて比較すると基礎体力の差違と言うことでないことは断言できる。
私は別段強い方でもなく(剣道、と言う型式に限定すれば違いは出るだろうが) 戦闘経験がある訳でもなく、基礎体力がマグナ達より優れているとは一切思わない。

(それなのに、マグナ達でさえ疲れ始めているのに、私は疲れすら感じていない)

ぞわり、と背筋が粟立った。
つまり今のこの状況を引き起こしているのは、私自身の変化。
私自身が認識している自分の身体と、現実此処に存在する自分の身体との間に差違が 存在すると言うこと。
私自身が自らの肉体のことを正確に把握できていないと言うこと。
次から次へと浮かび上がってくる言葉が脳内を浸食してくる。
恐怖と、嫌悪と、不快感が全身を駆けめぐりそうになる。

(この身体は…私のもの?何が起こって、何に変化が生じた…?)

自らのあずかり知らぬところで生じた変化。
私はそんなものをすっかり受け入れられるような人間ではない。
何が原因で、何のために、何が変わってしまったのか…。
私という人間の根本を突き崩しかねない疑問がグルグルと渦巻く。

(いったい私は"何"?リィンバウムでの私は…一体"何"なの?)

震えそうになる身体を抑えながら私は細く長く息を吐いた。
今になって初めて、私はこの世界に、リィンバウムに恐怖した。
自らの存在そのものを恐怖させるこの世界に、私は恐怖するしかなかった。


   *    



世界の変質の自らの異質さを感じ取ってみる。
そんな訳で逃亡思考に拍車が掛かっていくのです(´∀`)