甘さの浸透圧


「どうもすいません。弟のリューグが、失礼なことをしてしまって…大丈夫でしたか?」

ロッカが申し訳なさそうに頭を下げ、私の方を見た。
私は小さく微笑んで「ええ」と一言だけ返すに留める。
それにロッカは安心したように小さく息を吐き、そしてあらためてネスティに向かい 話を始める。
私は繰り広げられる会話を聞き流し、そして今後どうするのかに思いを馳せた。
トリスとマグナはネスティに宿探しを命じられ、そしてアメルと出会うのだろう。
ネスティはロッカに事情を説明して宿を頼むのだろうし、ケイナとフォルテは順番待ち をするために行列にならぶ。
アグラ爺さんの家に向かうまでの時間、この場の全員が別行動を取るのだ。
逃げるのならばその時間しかない。アグラ爺さんの家に行ってしまえば、そのまま 旅団の村人狩りに巻き込まれてしまう。

(現段階で外に出ようとする人間まで対象にはしないだろうから…可能性が一番高い のは今ね。もし駄目だったとしても、退路だけは確認しておかなきゃ)

今にげそこねたら、炎に紛れて逃げ延びるしかなくなってしまう。
それはあまりにもリスクの高すぎる手段だ。この世界での自衛の術を私は持っていない。
マグナ達は戦う術を持っていたし、ロッカ達が追っ手を足止めしていたからレルム村から 逃げることが出来た。いや、そうすることでしか逃げられなかった。
確かに一般人よりは戦えるかもしれない、けどそれは喧嘩やスポーツの中での試合に おいてのことであって、本気で殺しに向かってくる相手と真っ向から迎え撃つなんて 不可能だ。

「あ、待ってよ。フォルテってば!」

不意に聞こえたケイナの声に顔を上げると、フォルテがケイナの腕を掴んで行列の 中に姿を消していくところだった。
どうやらそこそこ話は進んだらしい。

「あの、もし宜しければさっきの騒ぎの経緯を聞かせて貰いたいんですが…」

「それなら、僕が行こう………、君も付いてきてくれ」

さてどうするか、と考え始めた矢先に指名されて私は驚いたようにネスティを見た。
なんだって私が行かなきゃいけないのか。
するとマグナとトリスが自分たちも付いていくと名乗りを上げた。
もちろんそれは、ネスティの情け容赦ない一言によって破棄される。知っているストーリー そのままの展開だ。
だが私を連れて行くと言うことにマグナやトリスは少しばかり不満らしい。
それはそうだろう、長年の付き合いである自分たちよりも何処の世界から呼び出されたのか 判らない私の方を信頼していると言っているような態度を示しているのだから。

「ネス、ずるいーっ!あたしたちもと一緒に行こうと思ってたのに!ねっ、 お兄ちゃん!?」

「そーだよ!昨日だってネスばっかりと話してたじゃないかー!」

「……君たちは…つくづく馬鹿としか言いようがないな…!」

トリスとマグナの言葉に、ネスティがこめかみを押さえた。
心底呆れたように溜息を吐いて、少しは自分たちの胸に聞いてみろ、とだけ言い残し ネスティは踵を返す。
私は置いて行かれないようにネスティの後ろを追いかけながら、何となく後ろを振り返って マグナ達の様子を見てみた。……漫画みたいに胸に手を当てている。馬鹿だ。
っていうか、今の発言なんか可笑しくない?何で発言内容の矛先が私を向いていたんだ… 私はあの二人に優しい言葉も態度も向けた事なんて無いのに。

「あの二人のことは気にしないで良い」

「へ……あ、はい…」

まるで心を読んだかのように振り返ったネスティが小さく笑った。
アレ、この人こんなにすぐに笑う人種だったっけ。
突然だったので素っ頓狂な声を上げた私に、ネスティはロッカの後に続きながら 疲れたように大きく溜息を吐いた。

「マグナもトリスも、純粋に君ともっと仲良くなりたいだけなんだろう…その手段は ともかくとして、な」

「仲良く…?お言葉ですけれど、私と彼らは主従関係なんですよね?」

「……君は馬鹿か?あの二人が主従関係なんて言うものをすんなり受け入れるタイプ の人間だと思っていたのか?まぁ…そこがマグナとトリスの良さでもあるんだろうが」

ネスティは私に背を向ける格好だったが、その顔が嬉しそうに微笑んでいることは見ずとも 理解出来た。
現在もその体質のために主従関係を握られているネスティ。
召喚獣に主従関係を当たり前のように求める今の社会。
そんな中でも主従を厭う二人の気質が、何度もネスティを救っているのだろう。
思っていた以上に甘さ思考が浸透していることに私は内心頭を抱えるしかなかった。

(いいわ…どうせ今日でサヨナラだもの)

合い言葉のようにして私はまた、心の中でそう唱える。
でもその時の私はまだ、何度も唱え続けなければ気持ちを保てないくらい浸食されて いたことに気付けなかった。


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一応も普通の子なんで、ガンガンアプローチされたら少しは靡いちゃうんですよ。
もおだてりゃデレるんです(何)