優しくしないで

結局私は、村に戻るために歩みを進めていた。
頭の中はごちゃごちゃで真っ当な思考が出来るとはもう思えなかったからだ。
イオスの言葉に従うようで悔しいが、それが最善だと私自身も既に理解している。
回らない頭で考え続けたって答えは出ない。
そんな頭を抱えたままでは生き延びられない。

「焦っていることは判っている…ちょっと視野が狭まってるだけ」

自分を納得させるように口の中で小さく呟いた。
今のこの狭い視野のままではダメだ。
落ち着いて、物事を冷静に、客観的に考えられるようにならなければ。
私は元々そう言う思考のタイプだったはず。
自分を取り戻すだけでいい。いつもの、自分を。

「…きゃあああっ!?」

しかしその思考は、比較的近くで聞こえた悲鳴で断ち切られた。
アメルの声だ。
その後に聞こえてくるマグナとトリスの慌てた声からして、主人公とアメルの出会い イベントが当にそこで起こっているのだろう。
これは近づかないに限る。
そう思って足音を立てないようにそっと立ち去ろうとした。
…したのだが。

「…!」

ついさっきアメルに助けられたとおぼしき猫がなんと目の前に出てきてしまったのだ。
しかも猫は興奮しているのか、尻尾を太くして私を睨んでいる。
これは動いたら鳴かれるっていうか攻撃されるんじゃないだろうか。
まさかの展開に私は立ち去ろうとした格好のまま動きを止めた。
だが同じ格好で静止を続けるというのはなかなかに辛いもので、次第に手がぷるぷる と震えてくる。
そして猫は、その震える手をじぃっと見つめている。
嫌な予感しか、しない…!

「……った!」

猫は素晴らしい跳躍で私の手に襲いかかってきた!
とっさに手を引っ込め直撃は避けるが、着地の寸前に思いっきり足を引っ掻かれて しまった。
着地寸前まで爪出しっぱなしにしてないでよ!
さっと着地して駆け抜けていく猫の後ろ姿を見つめながら思わず心の中で叫ぶ。
しかもガサガサと草をかきわけるような音まで聞こえて来るではないか。
そんな大きな声を出したつもりはなかったんだけど聞こえてたんですか!?
ガサリ、と一際大きな音がした。
そして人の声も。

「あーっ、やっぱりだ!」

「トリス、さん…」

猫と同じように飛び出してきたトリスは私を見つけて嬉しそうに笑うが、私の方は 表情を取り繕うのが精一杯だった。
物語節目にだけは遭遇したくなかったのに。
なんでよりにもよって物語のキーパーソンが出てくるところに!
…ああもう全世界の猫が憎らしくなりそう。










「お兄ちゃん、やっぱりだったよ!」

「ほんとだ!…って、足怪我してるよ!?」

「いやその…通りすがりの猫に引っ掻かれまして…」

あっと言う間に引きずられて到着した場所にはマグナとアメルが居ました。
主要メンバーに囲まれてるじゃないですか私…!
なるべくアメルと視線を合わせないように私はうつむき加減で喋る。
っていうかマグナ余計なこと言わないで下さい。
アメルの目線が私の足に向けられたのを感じた。
お願いだからマグナとトリスの治療が既に終わっていて後はアメルが呼ばれたら お別れのシーンに突入する所であってくれませんか後生だから。
……しかし、そんな願いはあっと言う間に砕かれるのである。

「じっとしててください…」

アメルがそう言って近寄ってきた。
私はびくりと揺れそうになる身体を押しとどめ、息を潜める。
アメルはマグナとトリスの手を取った。そこにひっかき傷を確認して、私は心の中 で今日何度目かになる悪態を付いた。
この世に神が存在するのならば、そいつはよっっっっっぽど私が憎いに違いない。
リィンバウムで神に相当するのはエルゴだろうか。
会ったことも関わったことも無いのにここまでご丁寧に喧嘩を売ってくれるのは一体 どういった了見なんだ。
そうして世を呪っている間に、アメルは二人分の治療を終えていた。
驚いて自分たちの手を何度も見つめているマグナとトリスに微笑み、そしてアメルは 私の足下に膝を突く。

「私は大丈夫ですから、立って下さい…!」

「いいから、そのまま…動かないで…」

アメルは私の傷に手をかざしながら、どこか遠い声でそう言った。
集中を解かないまま、譫言のように大丈夫、心配しないで…などの言葉を重ねる。
私がアメルから逃げるような素振りをしていたこと、気付かれていたのだろうか。
そしてそれを未知なる力への恐怖だとか人見知りだとか、そう言った理由からのもの だと勘違いしたのだろうか。
傷の周りに感じる暖かさに対して、指先はだんだんと冷えていった。
恐怖、緊張、焦燥…そして、少しの罪悪感。
これ以上見捨てていく人間の優しさを見せつけて欲しくないと思った。
私にだって申し訳ないと思う気持ちくらいあるのだから。
必死に隠し続けてきたその気持ちを掘り起こすようなことがどうしてこんなにも続く のだろうか。

「トリスさんとマグナさんは、いらない人なんかじゃありませんよ…さんも。 だから…今この場所に生きていることを、否定しないで……」

立ち上がったアメルは何処か悲しそうにそう微笑む。
そしてアメルは呆然とする私たちを残して、呼び戻されていった。
私の中に暖かさと冷たさの両方を植え付けて。


   *    



ちょっと長くなりました。
アメルがのことを漢字で読んでいるのは仕様です。
にとって自身は「」じゃなくて「」だと思うし、アメルはそれを 感じ取るから漢字呼びかなぁ、と。
まぁ今だけですが。←