サヨナラ、お元気で
黒の旅団の駐屯地、その簡易厩舎。 旅団に召喚されてからは雑兵と同じように普通に働かされていたから馬の世話もしていたし、たまに訓練に参加もしていた。 だから馬をこっそり持ち出す方法にも案があったし、何よりも何故か馬に乗れることが判っていた。多分も同じなんじゃないかと思う。 昼間ルヴァイドと話していた時に召喚によって誓約とともに付加されたものがあるかもしれないってが話していたけど、この乗馬スキルもそれなのかなーと俺はぼんやりと考えた。 ただ乗馬と戦闘能力はちょっと同じようで違う気がしているからあんまり一概には言えないとも思っているけど。 「………ちょっと、手が止まってる」 「えっ、あ、ごめん!でもあとちょっとで準備終わるから」 後ろから小声でからのお叱りが飛んできた。やばいやばい。 俺は残りの準備をささっと終わらせると、馬たちをなだめながら訓練で見た中で一番早いやつら2頭をそっと外に連れ出した。 に片方の手綱を渡すと、あっさりとそれを手にして慣れた手つきで馬を引いて歩き始める。やっぱり想像通りだ。 俺達は厩舎から少し離れたところまで移動してから、お互い無言のまま軽い動きで馬にまたがる。 またがった瞬間にが少しだけ表情を歪めたのは、やっぱりまだ傷がきちんと癒えていないからだろう。イオスの槍で受けた脇腹の傷は浅くなく、召喚術での回復も表面的なものでしか無い。 「、大丈夫……?」 「平気よこれくらい。それより、多分居ないことバレてる。急ぎましょう」 「げっ、対応早いなーさすが職業軍人」 遠くから僅かにざわついた気配が感じられる。きっと俺とが姿を消したことに気付いた団員たちが周辺を捜索しているんだろう。 馬での脱出なんてのは簡単に考えられるからだろう、その気配は確実にこちらに近づいてきていた。 まあでも、仮に馬で俺たちを追いかけようとしても、今さっき馬を連れてくるときに俺特性の南京錠ハイパースペシャルでしっかり施錠してきたから時間は稼げる。 今もテントが立ち並んでいるのとは別の方向から駐屯地がある林を抜けようとしているので、正面からかち合うこともないだろう。 「兎にも角にも、サクッと逃亡しますか」 今はまだ捜索段階だから本気で武器は持ち出してないだろうけど、もう少ししたら武装した旅団員達による実力行使も始まるだろう。 見つかった瞬間に射掛けられたりしたらたまったもんじゃない。 気付かれにくい道を選びながらも徐々に馬のスピードを上げ、並足から早足、駆け足へと変化させていく。 余り長時間馬に揺られるのはの傷にも良くないし、何よりも目立つ。 (さっさと林を抜けて街道を変装して歩いて、……って!) 俺が真面目に逃亡プランを練っていた所に、不意に見知った気配を近くに感じてはっと顔をあげた。 少し前を進んでいたも俺と同じ場所に目を向けている……そこには厳しい表情のルヴァイドと、どこか驚いたような信じられないような顔をしたイオス。 二人共手に武器は持っていないし馬も連れていない。このまま駆け抜ければすぐにでも距離を引き離すことができる。 「……っ!?」 イオスがまっすぐ俺を見つめて、俺の名を呼ぶ。 まるで裏切ると思ってなかった味方に裏切られたみたいなイオスの表情に、俺は思わず小さく笑った。 隣のルヴァイドも俺の方をじっと見つめている。 俺は二人の視線を受け止めてまっすぐ見つめ返し、口元に笑みを浮かべたまま小さく息を吸い込んだ。 「ルヴァイド、イオス!俺やっぱと一緒に居ないとダメだわ!今までありがと、バイバイ!」 多分俺、今すごくイイ笑顔だと思う。だって離れ離れだったと一緒に、また俺の家族と一緒に生きることができるんだ。 バイバイ、と口にしながら軽く手を振って、すぐ視線を正面に戻す。 はルヴァイドとイオス、それから俺を最後にちらっと見てから表情を引き締めて手綱をぎゅっと握り直していた。 そう、俺達はこんなところさっさと抜け出て、安全安心な場所を手に入れないといけないんだ。 背後からイオスの俺を呼ぶ声が聞こえるけれど、それもだんだん遠ざかっていく。彼らはどうやら追いかけては来ないみたいだ。 (敵の情報を握ってそうな捕虜と、旅団の情報を握ってる俺が逃げてるのに指揮官が追いかけてこないって……なんか逆に怖いな、コレ) まあでも彼らの本来の目的はアメルを捕らえることで、主人公一行の中に俺たちの姿がなければ俺達への興味もなくなるだろう。 あくまで俺達は旅団の情報が彼らに流れることと、一行の情報を手に入れるための材料であって、俺達自身に価値があるわけじゃない。 戦争に巻き込まれるのは真っ平御免だ、俺は平和主義者だしだって今までの様子を見るに極力登場人物たちと関わるのを避けている。 だからとにかく今はこの場所を逃げ切らなきゃいけないのだ。 (それにしても……能力付加、ねぇ) 木々の隙間から僅かに差し込む月明かりを頼りに暗闇を進んでいるとは思えないようなサクサクぶりで馬を進めていくに、俺は少しだけその後ろ姿を見つめる。 確かに自分の身体が得体の知れない力で変えられてしまっているのだとすれば、ソレは簡単に受け入れられるはずがないことだ。 消えてしまった両親から受け継いだものを少しでも失いたくないと考えているなら尚更。 「…………なんでこんなコトになってるんだろ、俺達」 思わず呟いた言葉は、馬たちの息遣いと木々を駆け抜けていく足音の中に溶けて消える。 誰も答えられない問だとは判っていても、旅団に召喚された瞬間から常に胸の中でグルグル回っている疑問は、今日も頭の中から抜けていくことはなかった。 一体これからどうなるのかも何もわからないまま、ただ俺達は無言で馬を走らせぜラムを目指すのだった。 ◆ 「ルヴァイド様……今ならまだ間に合います、追いかければ…!」 「追いかけても仕方あるまい…それはお前も判ったはずだ、イオス」 見慣れた、しかしあの場面には全くそぐわない笑顔。 は黒の旅団の中に馴染んでいる瞬間も、そこから逃れる瞬間も、どこまでも明るく穏やかな笑顔ばかり浮かべていた。 黒の旅団との、ルヴァイドやイオスとの別れですらその笑顔を変えることは出来なかったのだ。ただ一人、捕虜となった少女を除いて。 「今生の別れというわけではない……この先は敵として、相見えることになるだろうからな」 ルヴァイドは頭上に輝く月を見上げ、口元を自嘲に歪めた。 暖かな笑顔だと、彼らを受け入れていたと思っていたの笑顔は、どこまでも薄っぺらい表面でしか無かった。 それを読み取れず、その上にすっかり懐の内側に入れて心穏やかにしていた自分自身の緩んだ心が招いた結果だと、ルヴァイドは小さく息をつく。 聖女一行がゼラムに潜伏していることは調べがついているし、ともおそらく彼らに合流するためにゼラムを目指しているのだろう。 だとすれば再会はきっと直ぐだ。 「気持ちを引き締めろ、イオス。ゼラムに発つ日は近い」 「……わかっております、ルヴァイド様」 イオスは俯きがちだった顔を上げ、はっきりとルヴァイドの目を見つめた。 その表情はの逃亡に動揺していた時と違い、落ち着いた理性的な様子を見せていた。イオスもまた、自らの振る舞いに反省をしたのだろう。 「厩舎だけでなく他の場所にもが何か仕掛けているやもしれぬ、慎重に調べろ……持ちだされた武器の調査も忘れるな」 「了解しました」 奥で待機させている団員たちはまだざわついた気配を見せている。早くそれを落ち着かせ、指揮を取らねばならない。 迷いを捨てた瞳でルヴァイドはイオスに指示を出し、そのままさっとマントを翻し駐屯地へ戻る方向へ足を進めた。 僅かな非日常を塗り込め、あるべき旅団の姿に戻すために。 |